
船上で夜を迎え明かすのは何度目か、2度目で合ってるだろうか?船に乗ったら先ずは甲板に出てしまう。出航と同時に始まる夕食のバイキングを食べて、17時42分、また甲板に出る。9月15日の日の入りは18時6分。気温は秋に向けて微妙に涼しくなってきている気もするといったところだけれど、雲はひと足先に秋模様。明石海峡大橋を潜り抜ける頃に陽は雲に沈んでいってしまった。潮風を身体中に浴びて黄昏を思う存分堪能し、寝た。明朝、朝5時、
には船を降りるからどれだけ早く寝たっていいやと寝床に潜ったはずなのに、"本日の瀬戸大橋を通る時刻は21時45分を予定しています" という放送が流れた。瀬戸大橋も見に出た方がいいかな、でも帰りでも見れるかな〜、むにゃ、、と、その30分後にまた、"15分後に消灯しますので、それ以降はお静かに…"という放送が流れた。どちらも、私あとちょっとでぐっすりすやすや寝ているはずだったんだけど。お陰様で前回ストックホルムからヘルシンキに向かう船の夜は私たちがすやすや寝ている真上でオーロラが出ていたことを思い出せた。こうなったら、起きてしまった以上、何も出ていなくても、外に出なければ後悔する。

そう思って出た甲板はもう瀬戸大橋を通り過ぎた後で、視界の端から端まで同時に点滅するライトが一直線に並んでいた。感動するような絶景ではなかったし、星も大して見えない。ただ今ここにいい時間がある事は分かった。今回の旅は友達も一緒で、賑やかになりそうだ。どんな時間になるだろう。この先も楽しみなことが沢山なのに、自分と自分だけになる贅沢な時間を今過ごせてもう既に満足してしまいそうだ。欲を言うならこの都会の公園みたいないじわる椅子じゃなくて深く腰掛けられる椅子に座りたいし、それに座って紙の本を読みたいし、あたたかいお茶とちびちび味わうお菓子をつまみたい。帰りの船では用意しようかしら。帰りの船も、晴れるといい。海風は強いし潮でべたべたするけれど、暑くも寒くもない。そんな時期の船って結構に贅沢だってことをちゃんと知っているから、いつまでも居れそう。お尻が痛くなった頃、見える星が増えていた。船から見える街の光が減ったからだろうか、雲が晴れたのか、目が暗がりに慣れたのか、それにしても数十分移動するとこうも変わるのか。甲板には誰もいなくなってしまった、1人で見るには、少し贅沢が過ぎるような気がする。もうここで寝ようかしら。流れ星を2つ見た。
今向かっている先は九州、上京する18までずっと住んでいたはずなのに知らないことばかりの土地。出たくて出たくてしょうがなかったこの田舎にいいところが無数にあることには出てから気づいた。なんとも都合が良すぎるけれど、育った土地を愛したくなる年頃なのかもしれない。

目のしぱしぱか、朝霧か、夜明け前の電灯は夜よりぼやけている。光が玉みたいで綺麗、月も。数日前の雨予報はどっか行って、月の近くにいるオリオン座がはっきり見える。
車酔いしないように何かお腹に入れておこう、スーパーの2倍価格のブルガリアヨーグルトを甲板で食べながら夜明け前の星を眺めた。まだ5時10分、街灯の集まった岸辺の上の空だけが明るい。

5時30分、紫の空を横目に船を降りた。小倉駅までのシャトルバスに揺られているうちに夜明けが終わっていた。夕焼けは日が沈んだ後も尾を引く明るさがあるのに朝焼けは一瞬だ、普段こんな時間に起きることなんてないから、びっくり。
バスを降りて腹ごしらえを済ませた。今日のメインイベントはハイキング。でもその前にお山の頂上で食べるお昼ご飯を調達しないと。タイムズカーで借りた車を南に走らせながら見つけたところでロールパンのサンドイッチをみっつ買う。私が物心ついた頃には畳んでしまった、おばあちゃん家の酒屋さんがもしまだやってたらこんな感じだったんだろうなと思えるパン屋さん。山頂が楽しみだ。

いつのまにかもう8時、ご飯も調達したしあとは目的地に向かうだけ。快晴の田舎道をぐんぐん進む最高に気持ちいいドライブを2時間(流石にちょっと長かった)、熊本県は小国町、鍋ヶ滝に到着。

実家から少し手前の菊池渓谷は何度も行ったけど、ここまで来たのは初めて。熊本県は熊が子熊をおんぶしている形をしていて、ここは子熊の口角辺り。9万年前までに起こった大噴火でできたカルデラの中で人々が生活しているという、それを聞いてここにいるだけで頭がぼやぼやしてしまう壮大さを持つ阿蘇なのだけれど、
この鍋ヶ滝は元々川があった場所で、彼の大噴火の時に流れてきて積もった火砕流が固まりこの頭上の岩になり、その下の元々川だった層はこの岩より柔らかかったから段々と削れていって、この形になっているらしい。流石にこの大地と時間の業を見てそのどでかすぎる力を感じずにここにいる方が難しい。
滝の裏でマイナスイオンというか水飛沫をいっぱい浴びて滝の周りをぐるっと歩く。私は水か草があればそこに何時間も居たい人間なのだけれど置いていかれては困るので次に向かう。
12時30分、子熊のおへそ辺り、阿蘇山は草千里ヶ浜に着いたのでいよいようきうきハイキング!普段から歩く方ではあるとは思っているけれどハイキングなんてほとんどしないから最近はびびってジムのランニングマシンで傾斜をつけて早歩きしていた。効果はいかほどか。
ハイキングとはいえ、整備された遊歩道なので歩きやすい。雨予報はどこへやら、いつも通りの晴れ男が無理やり晴らしてくれているし、スタートから既に標高1137m、夏と秋の雲が入り混じる9月の阿蘇山は素晴らしく気持ちがいい。足はずんずん前に出る。こんな幸せなことがあっていいんだろうか。

整備された遊歩道だからこそなのか、9年前の熊本地震で崩れてしまったのかしらと思えるコンクリートがあったりもした。ちょっと待って、2016年が9年前?ちょっと受け入れ難すぎる。9年も前なら一度くらい補修したんじゃなかろうかと思うけど、いや待って、9年前ってヤバ、経ちすぎでは?高校1年生の記憶なんて割と鮮明に思い出せてしまう。もしかしたら、これから先20年30年前を思い出してもこの感覚なのかもしれない、9年なんてそんなもんか。私の9年前は、校舎に目に見える大きなヒビもたくさん入ったからと入学早々数週間休校になって、ようやく登校できたと思ったら同級生の家は天井と壁がなくなって避難所から来てたりとか、買ったばかりの教科書が瓦礫の下にあって持ってこれなかったりだとか、窓から見える熊本城本丸の屋根瓦がずれ落ちその下から青々とした雑草が力強く生えてたりとか、大きく報道されていないながらも被災した土地で過ごしているとそれなりにいろんなことがあった。おそらくまだ全ては癒えきっていないだろう。でもしかし、生まれ育った地にいると、そこかしこからいくらでも記憶が滲んでくるもんだ。いろんな場所に行っても、当たり前だけどどうしてもこんな土地は他にはない。そこかしこに行ってそこに自分がいたことは自分の中にも在るけれど、やっぱり時間の力はでかすぎるのか、ここでしか起こらない何かが私の中にたくさんある。それは今もこれからも作られ続けていくものだけど、それでもやっぱり0からの始まりを過ごした場所というのは他に代えられないんだろう。

まあハイキング中にはそんなことを考える余裕なんて無かったんだけれど。ずうっと足を前に出し続けて30分、トレーニングの成果はあったのかなかったのか、ひゃ〜〜と山頂に倒れ込んだ。最高に気持ちがいい!一本だけでいいから陽を遮る木が生えていてくれたらなんて言いながら、ロールサンドを頬張る。ああなんて幸せ。らくのう牛乳とみたらし団子も頬張る。ああなんて贅沢なんだ。
行きしにちらちらと振り返って見ていた景色は帰りはずっと眺めながら降りれるのかあ、なんて言いながら下山してコーヒーを飲む。アイスが食べたい。阿蘇といえば牛乳がおいしいからね。食べ物に抜かりのない人が横で美味しいアイスを調べてくれているのでこちらは気持ちのいい温泉を調べる。どちらも大正解だった。
16時、温泉を出て宿の方へ車を進める。
友達が船で横に座ってたおばあちゃんからおすすめのお肉屋さんを教えてもらったらしく、馬刺しを買いに行く。

熊本出身というと熊本に遊びに行く人からよく馬刺しが美味しいお店を聞かれるのだけれど、県民的には盆と正月におばあちゃんの台所から出てくるのみなので全く知りません。でも今回のお肉屋さんはかなり正解かも。これからは"馬刺しはお肉屋さんで買ってホテルでお酒と一緒にちまちま食べるといいよ"って言います。
それにしても今回ほんとに全然熊本のことを知らないことを思い知らされる。本当はいろいろ知っていたい気持ちはあるのだ、この土地から生まれるものを、育て守ってくれている人を、それらを届けてくれる人やお店を。それが出来てこそ地元民だろうにとせっかく来てくれた皆に申し訳がない。この先また住むのかどうかも分からないけど、もっと知りたい。
