噂には聞いていた落下の王国を鑑賞
2008年の日本公開以来、配信されることなく“幻”とされ続けてきたカルト的ファンタジー『落下の王国』。『ザ・セル』で鮮烈なビジュアル世界を築き、世界に衝撃を与えた“映像の魔術師”ターセム監督が、構想26年、撮影期間4年の歳月をかけて完成させた一級美術品が、ついに圧巻の4Kデジタルリマスターで蘇る。この度、オリジナルの劇場公開版でカットされたシーンが新たに追加され、より濃密な没入体験を実現。CGに頼らず、13の世界遺産、24ヵ国以上のロケーションを巡って撮影された息を吞む“本物”の映像が描き出す、まるで万華鏡を覗くような世界観は、観る者の心を奪い、深く焼きつける。
2026年初っ端からぶん殴られてしまった。
映画通なんだなあと見ていて思う友人知人が根こそぎみんなストーリーに上げていて知った映画。11月ごろに上映が始まったらしいが流石のロングラン、ほとんど席が埋まっていた。
情報はほぼ仕入れずに見た。ポスターすら見ず、一ヶ月ほど前予告編を見て、それきり。知っている名前は石岡瑛子のみ。
今朝編み物をしていてふと”観なきゃなんだった”と思い出して予約を取り、上映一時間前にテアトル梅田に来てカフェスペースで編み物をして、そのふわふわの状態のまま脳の脳でこれを観てしまった。結果この衝撃を受けるにはまあそれでよかったと思う。
いつの時代なのか、どんな役によってどう進んでいくのか、どの世界の話なのか、何一つ知らない、出てくる情報ひとつひとつで理解しながら暗中模索状態で観る。大抵いつもそうで ”もっとこの世界について調べて観たほうがよかったかも…” なんて思うこともしばしば、それでも調べて挑むことはあまりない。自分の中でピースを探しはめてぱあっと見えていく感覚も好きだし、結局毎度調べるのを忘れている。でも今回は、それでよかった。
決して大きくはないスクリーンに映し出される世界の雄大さに畏怖させられた。美しいのに怖かった。のちにその怖さはただありえないほどに美しく映し出される自然への畏怖だけに起因するものではなかったことがわかるのだけれど。
(以下観てない人は読んじゃだめです、どうにかして観てください)
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とはいっても大したことは書けないのだけれど。本当は、余韻と呼べるだろうこの頭を殴られがんがんと揺れる感覚をそのまま擬似体験してもらえるような文章が書きたい。これをこのようにこのまま文字にするのではなくて、あの手この手を使って全方位ぬかりない文を書きたい。悔しいことに今それはできないのでとりあえず消えちゃわないうちにどうにか残したいと思う。
雄大さと絶望がリンクして、砂漠が画面の中から飛び出し私までこじ開け広がってきた。
ポスターの右端の一行は鑑賞後に読んだので、物語が彼のものであることになかなか気がつかなかった。
どこで気がついたんだろう、だんだん、黒山賊がなんかえらく彼に似てるなと思い始めて、そのうち確信に変わった。
オウディアス総督の手下に見つからないよう、廊下の端に縮こまりグーグリグーグリと唱えている。
そういえば5歳の世界はそうだった気がする。どこが何との境目なのかわからなくて、全部がほんのり怖くて、それをそのまま体験させられた。
(先日5歳の従姉妹の息子と遊んだばかりだったからこれを見て5歳とは…?となったのはまた少し別の話)
この初体験を全くの情報なしに一人で観に来れた偶然と今朝の自分の思い起こしに一旦感謝したいと思う。
人と映画を観るのもいいものだけれど、そうしていたらこんなに反芻する間はなくあれよあれよとトピックが移って行ってふわふわと飛んでしまうところだった。
久しく殴られていなかった。前回は、小川糸のライオンのおやつだった。スマホを持つ前の小中学生のころは毎週のようにこれを味わっていたのを思い出した。2026年のいい目標ができた。能動的にたくさんいいものに殴られていれば、生活が濃くなる気がする。
