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How can I return to the depth that knows me ?

How can I return to the depth that knows me ?

”写真をどう撮るのか”と”世界とどう向き合うのか”は全く同じなんだな、と思った。

世界とは自分/他者/もの と、それを扱う自分であり、生活への態度であり、写真にはどうやってもそれが滲み出てしまう。
表面のみを切り取っているだけなのにどうやっても滲む。なにがみたかったのか、どうしたかったのか、どうみて欲しいのか、やわらかい部分がもろに出る。
自分の浅はかさがいやになる。それから逃げず自覚することが写真と、世界と向き合うことなんだろう。

同時に”写真をどう見るか”にも世界との向き合い方がでていたことに気づいた。

わかりきったことではあるけれど、それをどう見たいのか、自分の目と、その時自分が持っているものを通してしか世界を見ることはできない。
書いていて悲しくなってきた。逆手に取ればいいとも思わなくはないけれど。

その時そこにいる私は、その時に、そこにしかいないし、私しかいない。私が見逃してしまえば、収めるのを怠れば、二度とそれは生まれない。
それがどういう行動なのか、何を意味するようになるのか、まっすぐに生きていたらそんなこと考えなくてもそこに道理が生まれるはずなんだけど、私はすぐに怠けて脇道に逸れたがり意味を忘れてしまうから、どうにかしなければと焦ってまた見失いかけてしまう。
それも含めて私だと言い張るのは少し見苦しいし意味がない。
回りくどくつらつら連ねることで得てきた上っ面の筋肉だけじゃなくて体幹から律したいとは思う。それこそ美しいんだよなって、本当はずっと、ずっと羨んでいる。

Date : 2025/12/08
タグ: diary, zine